2011-01-01から1年間の記事一覧

無事松本に帰還しました。

相変わらずあれこれと突発事項の連続でしたが、予定通り、10月3日に無事むつみ高校に帰還しました。私も、国慶節休暇の真っ最中に、30キロの荷物抱えて、泣き泣きふるさとの村に戻りました。詳しい旅の様子は、また生徒たちの感想文が出揃ってから、順次ここ…

この複雑な中国方式が理解できますか?

予告編を8回に渡って書いてきましたが、さていよいよ本番です。ところが、ご承知のように、強烈な台風15号が沖縄あたりで停滞して、その後も迷走し、ホテルや列車やチャーターバスや、さまざま手配、予約をしている私としては、あれこれ振り回されてたいへん…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (おしまい)

9月30日(金) 瀋陽→天津→燕京号乗船この日は、瀋陽発13:14の高速列車に乗る予定ですので、午前中は自由時間です。918記念館へ行くのもいいでしょう。タクシーで20分くらいです。また、買い物がしたいという人も多いでしょうね。ホテルから瀋陽最大の繁華街…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その7)

9月29日(木) 東港→河口→丹東→瀋陽東港のみなさんと、“涙のお別れ”(毎年みんな泣くのです、必ずといっていいです)をしてから、私たちはバスをチャーターして国境沿いの道を丹東市内に向かい、そのまま河口というところまで行きます。丹東から1時間半ほど…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その6)

9月26日(月)〜29日(木) 東港日本語学校26日午後からの3泊4日間、どんなことをしようか、現在、東港の張先生と打ち合わせ中ですが、まずはこちら側の企画として「日本紹介写真展」をやる予定です。これは、昨年「山の分校」(私が住む村)にむつみの生徒…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その5)

9月26日(月) 丹東→東港日本語学校丹東から東に45kほど行った鴨緑江の河口にあるのが東港市です。黄海に面した港町で、日本からの貨物船も入港します。ここに実は日本語学校があるのです。正式には「大東港中日友好日語中等専門学校」といいます。年齢的に…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その4)

9月25日(日) 瀋陽→丹東 丹東は中国と北朝鮮との国境の町で、鴨緑江を挟んだ対岸は、北朝鮮の特別行政区、新義州です。ちなみに、中国では「北」はつかず、単に「朝鮮」といいます。南北は相対的な記号だから、韓国に対して北朝鮮というのはヘンではないか…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その3)

9月25日(日) 瀋陽−西塔(シーター)この日はちょっとゆっくり目に活動開始で、10時頃から瀋陽市内の「西塔」という町に行く予定です。ここは、朝鮮族(中国人)と韓国人の町です。町の人口のほぼ80%を占めているそうで、通りの看板はハングル文字に溢れ、…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その2)

9月24日(土) 瀋陽→撫順天津からが夜行列車だと、かなりきついスケジュールになってしまうのですが、船の中できっとゆっくり休養をとってもらったものと解して、この日は撫順に向かいます。撫順は露天掘り炭鉱で世界的に有名な町です。路線バスが通る道の途…

テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その1)

9月23日(金) 天津タングー港着下に書いたように、到着時間は予定通りというわけにはゆきません。しかし、私のこれまでの経験からいうと、2回に1回くらいはほぼ予定通りに着き、3回に1回くらいは2、3時間遅れくらいで到着します。しかし、船の場合、それか…

テラ・スコラ国境を巡る旅

本年度の「中国研修旅行」のスケジュールが決まりました。 今年は、神戸港から天津港に向かう「燕京号」で、50時間かけてはるばる海を越えて中国に上陸することになりました。前夜に学校に集合して、夜行チャーターバスで神戸に向かいます。あずさ号で成田に…

木曽馬体験ゼミ 

テラ・スコラにはさまざまなゼミがありますが、7月20日には、そのうちのひとつ「木曽馬体験ゼミ」というのがありました。緑に餓えていた私は、さっそく一緒に行ってきました。つまり、私は干ばつ状況の黄土高原から、緑したたる信州に一時帰国しているのです…

重い“後日談”その4 方正地区日本人公墓

田さんから最初のメールが届いたとき、まだ天理教団とは連絡が取れていなかったころから、「もし日本人の遺骨が出てきたら選択肢は2つ。ひとつは日本に持ち帰る。もうひとつは、に弔う」という意見が、ハルビン側では大勢をしめていたようです。方正というの…

重い“後日談”その3 今も極寒の地に眠る……

天理教団には、「旧満州天理村事務所」というのがあるそうで、その関係者と遺族の方々でいろいろ話し合いが持たれたようです。戦後65年も経ってからの突然の話で、みなさんきっと困惑されたことでしょう。“動きが鈍かった”のも当然のことだと思われます。と…

重い“後日談”その2  周知の事実

観光開発されるというのは、中国語で「農家楽」(ノンジャーラー)といって、日本ではすでに定着している、“農業体験ツアー”のような感じのものを想定しているようです。ハルビン市から近いので、休日にやってきて農業の真似事をしてもらったり、宿泊施設や…

重い“後日談”その1  一通のメール

昨年のテラ・スコラ中国の旅が終わってすでに8ヶ月がたっていますが、実はこの間、直接の関係者を除いては知られていない、“後日談”があったのです。ことが「満蒙開拓団員の遺骨」という、とても大きな問題だったし、その遺族の方々も一部特定できる状況だっ…

9月27日 再見!

これまた例年のことですが、東港から瀋陽に戻る日は、いつも涙涙のお別れになるのです。ほんの2、3日の短い交流だったのに、いつもはつっぱってる茶髪の少年まで思わず涙ぐみ、東港の女の子はワーワー涙が止まらない子もいるのです。お互い見えなくなるまで…

9月26日 国境の河を遡る

チャーターバスで河口というところまで行き、そこから鴨緑江を遡る遊覧船に乗りました。これも毎年同じコースです。今年はあいにく雨が降ったりやんだりの悪天候でした。北朝鮮の岸辺ぎりぎりまで接近して航行するのが、いわば“サービス”のようですし、当然…

9月25日 国境を見る!

5年前からほぼ同じコースで行われているこの企画には、“きみは国境を見たことがあるか?”という、いわばサブタイトルがついています。海に囲まれた日本にいては見ることができない国境を見る、というのがひとつの柱になっているのです。朝、東港の生徒たちと…

9月24日 東港日本語学校へ

正直いって、これまではほんとうに“辛い”旅でした。尖閣の嵐が吹き荒れる中、日中戦争時に日本軍がどんなに酷いことをしたかを、直接当時のことを覚えている老人たちから聞いたり、満蒙開拓団の跡地を訪れたり、731部隊記念館・918記念館と、もう日本人で…

9月23日 918記念館

今日は本来なら、午前中に瀋陽から1時間くらいの撫順という炭鉱町に行く予定でした。ここには、世界最大級といわれる露天掘りの炭鉱があって、巨大なすり鉢型の鉱山を道路の上から眺め渡せる場所があるのです。当然、かつてはそこで中国人労働者が掘った高品…

9月22日 ハルビン

今日は午前中は自由行動。みんなは、中央大街へ出てお買いもの。 私は疲れてホテルで休憩。午後1時の特急列車で瀋陽に向かいました。注:この写真がなぜかどうしても縦にならないのです。ナゾです。横向きになって見てください。*改めて日本のしたことのひ…

9月21日 731部隊遺址

今回ハルビンを加えたのは、同行スタッフTさんの「731部隊遺址見学を加えたい」という要望からでした。特に当時の関係者が、後の日本医薬学界にどのような“遺産”を残したのかということも含めて、医療関係への進路を考えている生徒たちに見せたいという…

9月20日 天理村

ハルビン市内から天理村へ向かいました。天理村というのは、かつて天理教団が教団の信徒を満蒙開拓団員として送り込んだ地です。今もそのままの名称で村が残っているということをDさんから聞き、彼に村に住む老人のインタビューを依頼しました。彼はこちら…

9月19日 ジャーロン自然保護区

一昨日私が書いた、ハルビンからチチハルに向かう車窓から見える大湿原の一画が、ラムサール条約で保護されているジャーロン大湿原です。それはそれは広大なもので、現地の人がいうには、世界的にとても有名な湿原で、西欧人の観光客も多いそうです。ここで…

9月18日 アンシー

チチハル郊外にある、アンシーという回族が多く住む村を訪ねました。なぜそんなところにというと、私が下見に行った時に、市内にあったモスクを訪れ、そこで知り合いになったヤンさんとジャンさんの紹介です。このふたりは、チチハル鉄道局、つまりかつての…

9月17日 瀋陽→チチハル

瀋陽北駅のホテルに泊まって、翌朝すぐにチチハルに向かいました。ハルビンで乗り換えるのですが、乗り換え時間が9分しかなく、中国の列車はときどき遅れるので、念のため1本遅い列車と、2種類の切符を用意してもらい、旅行社の人にホームまで持ってきてもら…

2010年度 テラ・スコラ中国ツー報告1 瀋陽到着

テラ・スコラでは、毎年秋に中国ツアーを企画、実行しています。学校ができた時からで、最初の年は大連に行きました。その後はちょっとづつコースが変わったりしましたが、この数年は、瀋陽・丹東コースで安定していました。瀋陽で、918記念館や平頂山など、…

廟灯会

農暦では春節の2月3日を初一と数え、それから8日目の初八(2月10日)は、賀家湾では伝統的な廟灯会が行われます。日が暮れると、楽隊を先頭に、ろうそくを持った村人たちが家々から順々に集まって、村の中を廻ります。村人たち、とりわけ子どもたちの健康と…

拝年

私の住む村から歩いて30分山を下りた招賢の町です。このド派手な店構え。でもこれは特に新年だからというわけではなく、いつもこうです。ただし、いつもよりより高く店先に商品が積み上げてありますが、これは拝年(バイネィェン)用の商品です。 春節が明け…