2013-01-01から1年間の記事一覧

9月16日 新しい旅の始まり

最終日の今日は、自由時間というふうに決めていました。家族や友人にお土産も買いたいだろうし、それをあれこれ悩むのもまた旅の大切な楽しみだからです。それでもまる1日は必要ないので、買い物は午前中にして、午後からは全体の反省会というか、感想会を持…

9月15日 再び瀋陽へ

朝、東港のみんなと別れてから、タクシー4台に分乗して丹東に向かいました。東港から丹東に行くには2つの路線があって、ひとつはバスが通る最短コース。そしてもうひとつは、鴨緑江に沿ったコースで、つまり北朝鮮との国境をたどる道です。私が最初に通った…

9月13日−15日 東港日語学校にて

実はこの3日間についての詳細はナゾです。というのは、生徒たちは学校の寮に泊めてもらって、東港の生徒たちと生活を共にし、私たちスタッフは、学校の外のホテルに泊まって、東港の先生にすべてのスケジュールをお願いしてしまうからです。特に私は、この時…

9月12日 国境を見る

今日はいよいよ“国境を見る日”です。朝9時にバスが来て、ホテルから鴨緑江沿いにどんどん遡ると、1時間半ほどで河口という村に着きます。ここがいまや一大観光地となっていて、めざましい発展ぶりなのです。河口にももうひとつの断橋があって、これも日本軍…

9月11日 ハルビン→瀋陽→丹東

今日は1日移動の日です。ハルビン発のD26列車は、いわゆる新幹線で、来るときは5時間かかったのが、戻りは3時間です。もうひとつ、G列車というのがあって、これはもっと速く、2時間半ほどで着きます。しかしあまりに料金が高いのと、あまりに速くて、なんと…

9月10日 731部隊罪障陳列館

「731部隊」に関しては、こちらに来る前に何度か学習会を開きます。とりわけ、これまでの学校の授業ではほとんど教えられてこなかった高校生にとっては、あまりに残酷で刺激的な写真や資料が陳列されているので、ここへ連れてゆくのは、“かわいそう”な気…

9月9日 ハルビン到着

私たちは、市内を流れる松花江の畔のビジネスホテルに3泊します。今日は、まず市内を走る遊覧バスに乗ってみました。ひとり5元で、つい10日ほど前から運行しだしたそうです。その後にまた路線バスに乗り換えて、市内をぐるぐる。この街はかつての帝政ロシア…

9月7日 戦犯管理所

撫順の中心部、つまりかつて満鉄職員を中心とした日本人居住地域というのはほんとうに限られた狭い地域です。その真ん中あたりにある銀座賓館からは、市内バスにちょっと乗ればだいたいどこへも行かれます。「戦犯管理所」というのは、日中戦争時における戦…

9月8日 撫順→瀋陽→ハルビン

3日間お世話になった銀座賓館を後にして、撫順駅前で「雷峰号」に乗車。雷峰というのは、人民解放軍の模範兵士で、撫順で訓練中に殉職した青年の名前です。この雷峰号が、4台も5台も並んでいて、10分おきくらいに瀋陽に向けて出発します。撫順は今や瀋陽の通…

9月6日 平頂山

みんな朝から食欲旺盛。ホテルの食堂で、お粥とゆで卵、炒めた野菜や干し豆腐など5、6点のおかずが出て、セルフサービスで自由に食べます。コックさんやウェイトレスじゃなく、“近所のおばちゃん”2人が用意してくれて、「みんな、勝手に自分でやってね」て感…

9月5日 到着

台風やその後の大雨のニュースをネットで見ていたので、今年の旅が予定通りに始まるのかとても心配していました。でもいまはとても便利ですね。引率の竹内さんから、「いま学校出るとこ」「いま立川」「成田到着」「これから搭乗」と、次々に連絡が入り、み…

撫順下見旅 その10

私が撫順を訪れたのは3月の初めで、まだまだ“尖閣問題”が炎と燃え盛っていた時期でした。私が最初に「ちょっと意外なことの連続」と書いたのは、こういう時期だったのにもかかわらず、実は“反日”を感じさせるものに一度も出会わなかったからです。それどころ…

撫順下見旅 その9

今回の最大の“収穫”はこの「龍鳳炭鉱」です。初日に偶然于さんのタクシーに乗って、彼がよく知っていることがわかったので、翌日もホテルまで迎えに来てもらうことにして、夜ネットでいろいろ検索してみました。そして翌朝何枚かの写真を彼に見せて、どこか…

撫順下見旅 その8

望花区という駅の西側のあたりに、いままさに解体工事が始まっていた住宅地がありました。瀋陽のような大都市と違って、巨大重機で一気にバリバリッ、ドーン!ではなく、人手でぼちぼち解体しているようでした。それでもあと一二ヶ月もすれば、このあたりは…

撫順下見旅 その7

道を走っていたら、古びた住宅街の真ん中に、ニョッキリと塔が出現しました。当時の給水塔です。ということは、このあたりにも日本人住宅があったとおもわれますが、かなり雑然としていて、詳しくはまた次の機会に調べてみるしかありません。現在は使われて…

撫順下見旅 その6

これは、当時の靖国神社の本殿だそうです。それらしき痕跡を探すのは難しかったのですが、こういった形の屋根は他では見られず、神社の屋根の形だと思います。また、この建物が道路からかなり奥にまっすぐに入った位置にあって、地形的にも神社様式でした。…

撫順下見旅 その5

撫順の旧市街地というのはとても狭い地域で、車だとあっという間に端から端まで廻れてしまいます。途中途中で、あれも日本人が作った、これもそうだと、于さんのガイドは続きます。この橋は今でも使われています。もう一ヵ所、永安台に入る永安橋という撫順…

撫順下見旅 その4

タクシードライバーの于さんはちょっと変わった経歴の持ち主で、若い頃に5年間、武警(日本の機動隊)に勤めていて、その後国内各地を行商してお金を貯め、SUZUKI車を購入して個人タクシーを始めたそうです。まだ40歳と若いのですが、武警のような組織にいる…

撫順下見旅 その3

当時満鉄の社員は3万人もいたそうで、立派な社員住宅があちこちに建設されました。家族住宅が4500戸、独身寮が27棟あったようです。于さんに聞いてみると、ここ数年、老朽化が激しくてどんどん取り壊されていて、現在でもまとまって人が住んでいるのは、「新…

撫順下見旅 その2

当時(旧満州時代)の撫順の町は、撫順駅を中心にして、駅の正面から「中央大街」というメインストリートが走り、その両側に満鉄の主要な建物があったようです。満鉄が造った中央大街の名称は、今もそのまま使われています。この壮大な建物が、1907年に建て…

撫順下見旅 その1

ご存知のように、テラ・スコラでは、毎年9月に中国の旅を企画しています。最初の年は大連、2年目は北京、3年目から瀋陽と国境の町丹東というコースで、すでに今年で9回目になります。ただ、この2、3年前から、スタッフの間でいろいろ考えるところがあって、…

H7N9

突然の復活ですが、鳥インフルです。一昨日は山東省、昨日は台湾でも感染が確認され、今日現在で、感染者が100人を越え、死者も20人を越えました。思い出すのは、今から10年前、700人を超える死者を出したSARSです。あのとき私はちょうど北京で中国語の勉強…