撫順下見旅 その1

ご存知のように、テラ・スコラでは、毎年9月に中国の旅を企画しています。最初の年は大連、2年目は北京、3年目から瀋陽と国境の町丹東というコースで、すでに今年で9回目になります。

ただ、この2、3年前から、スタッフの間でいろいろ考えるところがあって、メインを隣町の撫順に変えようかという思いが強かったのです。瀋陽という巨大な都市の開発が進みすぎて、ビルとビルの谷間をウロウロしなければならないし、最大の目的である、旧満州時代の遺構なども、どんどん壊されて、ほとんど見学するところがなくなりつつあるのです。

それで、先月のことですが、ちょうど瀋陽に行く用事ができたので、足を伸ばして、撫順の“下見”をしてきました。

撫順は露天掘り炭鉱で有名なところですが、当時(旧満州時代)、満鉄(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%80%E9%89%84)の社員が3万人も住んでいたようで、その頃の日本人住宅など、きっとまだ残っているだろうと思ったのです。

まずは、毎年訪れる平頂山記念館へ行き、そこの学芸員から情報を得ようと思ったのですが、“お客さん”が少ないとかで、みんな帰ってしまって、警備員しかいませんでした。しかたなく、町の方に戻ろうとして、通りがかったタクシーを止めたのですが、天は私に味方したんですね。運転手の于さんが、とにかくよく知っていたのです。それで半日ずつ2日間、彼とずっと一緒にあちこち廻りました。撫順の旧市街はほんとうに狭い地域なので、まる1日あれば十分だったのです。

まず、瀋陽から撫順へは50キロほど、「雷鋒号」というバスが5分に1本ほどと頻発していて、私たちもいつもこのバスを使っていました。市街地を走るので、1時間半ほどかかります。鉄道も走っているのですが、本数がとても少なくて、なかなかタイミングを合わせるのが難しいのです。

ところが今回、新市街地の方に、新しい撫順北駅というのが完成していました。本数もずっと増え、速い列車では1時間を切り、瀋陽の通勤圏に入ったわけです。

上のモノクロ写真は、1930年代に満鉄によって建設された撫順駅で、それがそのままずっと去年まで使われていました。バスもここに到着するので、テラ・スコラのメンバーも一度は中に入っているはずです。

私が行ったときには、すぐ隣に撫順(南)駅が完成間近で、今頃はきっと開通しているものと思われます。かつての撫順駅もそのまま残っていました。

運転手の于さんがいうには、政府としては取り壊して高層ビルにしたかったらしいのですが、住民の半分が取り壊しに反対したのだそうです。

それは、「侵略の歴史を忘れないため」の教育的見地からなのかと聞いてみると、ちょっと意外なことに、そうではなく、「ずっと昔から撫順の町のシンボル的建物だったから壊さないで欲しい」ということだったそうです。

実は今回の撫順の旅は、この「ちょっと意外なことに」の連発旅だったのです。それも含めて、明日から順番に撫順の町をご紹介してゆきます。

*モノクロ写真はネット上から拝借。すべて当時の写真です。