2014-11-01から1ヶ月間の記事一覧

なつめものがたり その13

2013年11月29日、いよいよなつめが黄土高原に別れを告げる日がやってきました。ちょうど大同まで車で行く人が見つかったので、諸経費を私が負担するという条件で北京まで送ってもらうことになり、午前8時の出発です。前夜は最後だからと、ゲンワン夫婦の家に…

なつめものがたり その12

それからの半年間は、これまでにも増していろいろ気を使いました。これだけの手間ヒマお金をかけて、何事かあったらもう、泣くに泣けないのはおわかりいただけると思います。病気をしないように、怪我をしないように、犬同士のケンカもあるし、農薬や殺鼠剤…

なつめものがたり その11

1ヵ月後の5月14日、初回と同じ方法同じコースで北京に向かいました。動物病院は市内北部にありましたが、幸運なことに、高速道路を出て、そのまま首都高速に乗り換えて、まさにその高速沿いにあったため、最短の時間で行くことができました。これがもし、中…

なつめものがたり その10

あけて13年4月8日、いよいよ第一回目の接種をするために北京に向かいました。まずは、磧口の顔見知りの運転手に頼んで、太原まで送ってもらい、私はホテル泊まり、なつめはペットショップに預かってもらいました。あとから思い返せば、ここを探し出すまでに…

なつめものがたり その9

私となつめの平和な暮らしに突如暗雲がたちこめ始めたのは2012年のことです。4月に石原東京都知事が尖閣諸島購入の計画を発表し、9月には、時の野田政権が国有化に踏み切ったからです。 私はこのときまで、なつめを日本に連れて帰ることは一度も考えたことは…

なつめものがたり その8

なつめは毎日何を食べていたかというと、基本的には米。ごはんに残り物のおかずやふりかけなどをかけてあげていました。私が肉を食べないので、かつお節の粉とか魚の缶詰の残り汁とか、たまにはゆで卵、ソーセージなどです。だから肉よりむしろ魚系が好きみ…

なつめものがたり その7

車で取材に行くときなどは、なつめも連れてゆきました(ア、この車じゃないですよ)。写真は、磧口からずっと山の中に入った中興社という村ですが、そこに日本語を話す老人がいると聞いたのででかけました。会ってみると、“話す”というのは大げさで、単語を…

なつめものがたり その6

2005年に北京からこの地にやってきて、その後5年ほど、私は村々を廻って老人たちの記憶を聞き取り続けました。訪問した村は100を越えます。取材した人は2010年の段階でおよそ300人。公共交通機関などもちろんないので、徒歩、あるいは村人のバイクに乗せても…

なつめものがたり その5

ゲンワンの家も1年で引っ越しました。天井からぽろぽろ土くれが落ちてくるようになり、寝ている頭の上や、PCのキーボードにも降りかかるようになったからです。今度はイージャオの家ですが、ここは空き家になっていたので、私となつめだけの暮らしになりまし…

なつめものがたり その4

賀家湾で最初に住んだジーチャンの家は小学校のすぐ近くにありました。当時なつめは繋いで飼っていたのですが、“悪ガキ”が学校への行き帰りにのぞいては、棒でつついたりして虐めるので、半年くらいで引っ越しました。なつめは今でも小さな子によく吠えるの…

なつめものがたり その3

それからしばらくして、私となつめは、現在暮らしている、賀家湾(ハージャーワン)という村に引っ越しました。この村は、かつて日本軍によって274名の村人が虐殺されたという凄惨な歴史を持ち、私はその後初めて村に入る日本人です。もちろん私は、意識して…

なつめものがたり その2

なつめが私のところにやって来たのは、2007年12月7日のことです。私はその頃、近隣の村々を廻って、日中戦争当時の記憶を持っている老人たちを探して、聞き取りをしていました。この日は、工農庄という村に住む80歳の薛老人を取材したのですが、帰りがけに、…

なつめものがたり その1

この「山の分校」のタイトルバックの右の方に一匹の犬が写っていますが、名前は「なつめ」といって、実はいま、むつみ高校とスタッフのヨネさんの家を行ったり来たりしています。そろそろ1年になります。なぜ中国の黄土高原に居るはずの犬がむつみに居るのか…