2011-06-01から1ヶ月間の記事一覧

重い“後日談”その4 方正地区日本人公墓

田さんから最初のメールが届いたとき、まだ天理教団とは連絡が取れていなかったころから、「もし日本人の遺骨が出てきたら選択肢は2つ。ひとつは日本に持ち帰る。もうひとつは、に弔う」という意見が、ハルビン側では大勢をしめていたようです。方正というの…

重い“後日談”その3 今も極寒の地に眠る……

天理教団には、「旧満州天理村事務所」というのがあるそうで、その関係者と遺族の方々でいろいろ話し合いが持たれたようです。戦後65年も経ってからの突然の話で、みなさんきっと困惑されたことでしょう。“動きが鈍かった”のも当然のことだと思われます。と…

重い“後日談”その2  周知の事実

観光開発されるというのは、中国語で「農家楽」(ノンジャーラー)といって、日本ではすでに定着している、“農業体験ツアー”のような感じのものを想定しているようです。ハルビン市から近いので、休日にやってきて農業の真似事をしてもらったり、宿泊施設や…

重い“後日談”その1  一通のメール

昨年のテラ・スコラ中国の旅が終わってすでに8ヶ月がたっていますが、実はこの間、直接の関係者を除いては知られていない、“後日談”があったのです。ことが「満蒙開拓団員の遺骨」という、とても大きな問題だったし、その遺族の方々も一部特定できる状況だっ…