重い“後日談”その2  周知の事実

観光開発されるというのは、中国語で「農家楽」(ノンジャーラー)といって、日本ではすでに定着している、“農業体験ツアー”のような感じのものを想定しているようです。ハルビン市から近いので、休日にやってきて農業の真似事をしてもらったり、宿泊施設やレストランを利用してもらって、都市部と農村部の交流をはかるのが目的で、政府による開発です。

そして、すでに更地になっている予定地の中に、かつての“日本人墓地”があるというのです。この墓地は、戦争が終わる前から、天理村で亡くなった日本人が葬られていたところで、戦後から引き揚げまでの間に亡くなった人は、当初はその墓地に埋められていたけれど、どんどん亡くなってゆくので間に合わなくなり、別の大きな穴に放り込まれるようになったそうです。その大きな穴というのは、もともとは出荷する野菜を保存するためのムロだったようです。

こういった事実は、現在の天理村住民の、一定の年齢以上の村人にとっては“周知の事実”だったようですが、私が直接連絡をとった、(日本の)天理教団の担当者(たぶん30代後半から40代初め)の方は知らなかったようです。つまり直接の関係者、当時天理村から引き揚げた開拓民の方々以外には、知らされていない事実だったようです。日本の図書館で調べなければなんともいえませんが、もしかしたら、“満州天理村の歴史”は、天理教団の公史からは削除か、あるいはほとんど触れられていないのかもしれません。それほどに凄惨な結末をたどることになったからです。

*写真は記事とは関係ありません。山の分校の風景。