なつめものがたり その9


私となつめの平和な暮らしに突如暗雲がたちこめ始めたのは2012年のことです。4月に石原東京都知事尖閣諸島購入の計画を発表し、9月には、時の野田政権が国有化に踏み切ったからです。


私はこのときまで、なつめを日本に連れて帰ることは一度も考えたことはありませんでした。日本の動物検疫は他国に比べてもきわめて厳格で、信じがたく煩雑な手続きを踏まなければならなかったからです。

まずは、マイクロチップを装着した上で、中1ヶ月をあけて2度、狂犬病の予防接種をします。その後に血清を採って日本の指定検査機関に送り、その返事を待ってから、半年間中国で繋留し、その後に再度煩雑な検査を通してOKならば、ようやく連れて帰ることができるのです。

しかし問題は、それらの処置をできる動物病院が、北京、上海などの大都市にしかなく、その上に、中国では列車やバスに犬を乗せることができないのです。つまり、すべて車をチャーターして何度も移動しなければならず、病院に支払う費用や日本行きの航空券代、なつめと私の宿泊費等々を加えると、膨大な費用が必要になるのです。

もうひとつ、私が本帰国するのでない以上、どこで誰が面倒を見るかという大きな問題がありました。


国有化が発表されてからの“反日行動”がいかにすさまじかったかは、みなさんもまだ記憶に新しいと思いますが、当地で村人たちが得られる情報というのは、国営テレビしかありません。中国政府が、日々どのようなプロパガンダを流し続けたかはここでは触れませんが、私自身も先が読めない中、最悪の事態を考えて、いちおう帰国の準備も整えました。なつめをどうするかは、ものすごく悩みましたが、それでもまだその段階では連れてゆくつもりはなかったのです。


ところが、私がなつめをもらってもらうつもりだったゲンワン夫婦が、「みんなが日本人の犬なんか面倒見るな、というので、悪いけど今後は預かれない」といってきたのです。なつめはなかなか人になつかない犬なので、その他の人にあげることはまったく考えていませんでした。


そしてある日、なつめが鼻面から血を流しながら帰ってきたのです。自分でどこかに引っ掛けたような傷ではなく、小さなものではありましたが、何か鋭利なものでスパッと切りつけられたような傷でした。直前に、珍しくキャンキャン泣いている声も聞いています。もちろんなつめは何もいうことはできず、じっと私の顔を見上げているだけでした。

私はこのときに初めて、どんなことをしてでも、なつめを連れて帰ろうと決心しました。万が一不測の事態が起こっても、私はすぐに日本に帰ることができるけれど、残されたなつめはいったいどうなるのだろう。この黄土高原の過酷な自然環境と、神経をすり減らさなければならない社会的状況、日本人には想像を絶する不便な暮らしの中で、いつも私を支えてくれたなつめだけを残して、“逃げる“ように帰国すれば、私は一生後悔するに違いないと考えたからです。

*以上の記述は、あくまで当時の状況に即したものです。当時から、国の問題と個人の関係は別だからという人、本気で私の身を心配して帰国を勧めてくれた人などなど、当然いろんな人がいました。結果的には、その後の状況は徐々に平静になり、今はほぼかつての状況に戻りつつあります。だから私は、今も元気に賀家湾村で暮らしています。