撫順下見旅 その2

当時(旧満州時代)の撫順の町は、撫順駅を中心にして、駅の正面から「中央大街」というメインストリートが走り、その両側に満鉄の主要な建物があったようです。満鉄が造った中央大街の名称は、今もそのまま使われています。

この壮大な建物が、1907年に建てられたかつての満鉄病院です。中央大街を駅から200mくらい行ったところにあります。

現在は右側の半分が建てかえられ、遼寧省でも一二を争う総合病院になっています。

左側半分と裏手の方は、今も当時のままに使われています。すでに100年以上経っているわけですね。

病院の真正面にあったのが、石炭事務所。撫順炭鉱も満鉄が経営し、この事務所が、撫順の満鉄の本部だったようです。

現在は、民営の石炭会社の事務所になっていて、門の中には入れません。夏には建物全体を蔦が覆い、とても美しいそうです。