撫順下見旅 その4

タクシードライバーの于さんはちょっと変わった経歴の持ち主で、若い頃に5年間、武警(日本の機動隊)に勤めていて、その後国内各地を行商してお金を貯め、SUZUKI車を購入して個人タクシーを始めたそうです。まだ40歳と若いのですが、武警のような組織にいると、日本の侵略の歴史というのは徹底的に叩き込まれるようで、それで、いろんなことをよく知っていたのです。

では、于さんはバリバリの“反日”かというと、まったくそんなことはなくて、第一購入したのは日本車だし、私ともけっこう意気投合して、気持ちよく2日間を共にしたのです。それどころか、行く先々で“日本の技術”を褒め称えたのです。

満鉄病院の東の方に、「永安台」という、台地状になった区域があり、そのあたりが、もっとも整備された日本人居住区で、小学校や公会堂や公園などもあったようです。今はほとんどが立て替えられていますが、名称はそのまま使われています。

界隈を走っていると、なんだか日本の住宅地に入り込んだような錯覚を覚えるのですが、それはおそらく、街路樹が植わっているからでしょう。これらの樹もすべて日本人が植えたんだと、于さんはむしろ楽しそうに説明してくれました。

この石段も日本人が作ったもので、以降一度も修理されていないと、これまたなんだか自慢気に話すのです。そして、自分たちが今走っている道路も、日本人が作ったんだ。中国人が作った道路と比べて、走り易さがぜんぜん違うというのです。たしかに、よほど厚い舗装がしてあるのでしょう、タイヤのすべり具合が違うように感じました。

私は即座に、分校がある黄土高原の村々の、舗装して1、2年で亀裂が入り、でこぼこになる山の道路を思い浮かべてしまったのです。