撫順下見旅 その9

今回の最大の“収穫”はこの「龍鳳炭鉱」です。初日に偶然于さんのタクシーに乗って、彼がよく知っていることがわかったので、翌日もホテルまで迎えに来てもらうことにして、夜ネットでいろいろ検索してみました。そして翌朝何枚かの写真を彼に見せて、どこか知っているところはないかというと、龍鳳を見て、「この建物ならあるある」というのです。撫順の旧市街地はさほど広くないので、タクシードライバーならこんな奇抜な建物に気が付かないはずはありません。

龍鳳炭鉱というのは、日本人が撫順で最初に開いた炭鉱のようです。で、上の写真(当時の写真です)の建物は、「竪坑櫓」というのだそうですが、第2次大戦終了前に造られて現存するのは世界で3ヵ所という、建築学的にもとても貴重なもののようです。以下のURLに詳しい説明が出ていますので、まずはこれをご覧になってください。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%85%8D%E9%89%B1%E6%A5%AD%E6%89%80%E7%AB%AA%E5%9D%91%E6%AB%93

現場に行って、まずその大きさに圧倒されました。資料によると1936年建造、63.1メートルあるようですが、周りに高い建物がないので、まさに天を突くような存在感があります。近づいてみると櫓もその下にある建物も窓ガラスはバリバリに割れてはいますが、建物自体はしっかりしていて、むしろ櫓の方はとても77年の風雪を経たとは思われず、光輝すら放って辺りを威圧していたのです。私は足がすくむ思いで、長いことじっと見上げていました。

フト視線を下ろすと、そんな私をじっと見つめている初老の男性がいるのに気づき、さっそく近づいて自分が日本人であることを名乗り、“満州”時代の遺構に興味があるのだと告げました。

その男性はちょっと驚いた風でしたが、ぜんぜん嫌な顔はせず、自分はずっとここで働いていて、最近退職したばかりだというのです。すでに長い間操業はしていなかったので、おそらくは事務的な片付け仕事に携わっていたのではないでしょうか。

その徐さんの説明によると、写真の左側にある鋼鉄製の櫓と右端の建物は、50年代にソ連が造ったものだそうです。まったく、ようやく日本人が撤退したら入れ替わりにソ連人がやって来たわけで、それほどに撫順という地は価値のある、宝の山だったということでしょう。

そして徐さんは、こちらがとまどってしまうほど、何度も日本の技術を誉めたのです。とにかく壁がこんなに(と両手を30センチほどに広げながら)厚くて、今の中国がいくら頑張っても、とても当時の日本の技術には追いつけない、というのです。自分が退職するときでも、トイレすら日本が作ったものをそのまま使っていたと笑っていました。

彼は長年勤め上げた櫓そのものにとても愛着があるようで、普段はもうここには住んでいないけれど、こうやって時々帰ってくるのだといって、自分が帰ってきたときに住んでいる家(おそらくは、元々の事務所)を教えてくれ、私たちが9月に再びやって来るときには、ぜひまた会いましょうといって、お別れをしました。