テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その4)

9月25日(日) 瀋陽→丹東
丹東は中国と北朝鮮との国境の町で、鴨緑江を挟んだ対岸は、北朝鮮特別行政区新義州です。ちなみに、中国では「北」はつかず、単に「朝鮮」といいます。南北は相対的な記号だから、韓国に対して北朝鮮というのはヘンではないかと私も思っています。

ともかく、丹東の町からは、鴨緑江をはさんで対岸の北朝鮮を指呼の距離に見ることができます。鴨緑江大橋(かつて日本軍が建造したもの)のたもとの辺りが観光船の基地になっていて、ひっきりなしに“国境めぐり”をする観光客でにぎわっています。

またこの橋は、ちょうど真ん中辺りでばっさりと切断されていて、それはなぜかというと、朝鮮戦争のときに、物資や人の往来を絶つために、アメリカ軍が空爆して切断したものです。この切断された部分まで、観光客は入ることができます。

日本が朝鮮を占領していた頃に建てられた王子製紙の工場の煙突もよく見えて、どうやら今でも稼動しているようです。まったく動かない観覧車もあります(これは観光客を意識したハリボテですね)。

船は対岸の北朝鮮まで100mくらいまで近づきますから、「お〜〜い!」と呼べば返事が返ってきそうな距離ですが、みんな押し黙っています。でも、手を振ったりする人はいますね。でもこれは、私たちが中国人だと思っているからで、もし船尾に日の丸でも掲げられていれば大変なことになるでしょう。

現在は中朝貿易の最大拠点になっていて、町には朝鮮族(中国人)と朝鮮人と韓国人(分断された祖国を見るためにやってくる)が入り混じって、観光と貿易で活気に溢れた町です。

また鴨緑江大橋(橋は、切断されたもののとなりにもうひとつある)を週に3便、北京→ピョンヤンの国際列車が通ります。ですから、丹東駅も空港のように、国内線と国際線とに分かれているのです。駅前広場には、巨大な毛沢東の像が建っていて、この毛さんの銅像というのは、いまや中国では珍しいのです。とにかく、近代から現代にまでかけて、歴史の勉強をするには、これほど現場の“資料”に恵まれた地は他にないでしょう。

街中でときどきハングル文字のナンバープレートを見かけます。北朝鮮からやってきた大型トラックです。日本製だったりします。何年か前、それを写真に撮っていたら運転席から北朝鮮人(朝鮮語で怒鳴られたから間違いなく)が飛び降りてきて追いかけられました。みなさんはこんな危ないことをしてはいけませんよ。