テラ・スコラ国境を巡る旅 (つづき その2)

9月24日(土) 瀋陽→撫順

天津からが夜行列車だと、かなりきついスケジュールになってしまうのですが、船の中できっとゆっくり休養をとってもらったものと解して、この日は撫順に向かいます。

撫順は露天掘り炭鉱で世界的に有名な町です。路線バスが通る道の途中に、炭鉱がよく見える場所が1ヵ所あって、そこで下車して炭鉱を俯瞰するかたちで見学します。

炭鉱といえば、深い坑道を掘って、トロッコで地下に潜り、暗闇の中で採炭工がツルハシ(今はどこも機械)を使って、命がけで掘り進む。といった暗くて危険な光景を思い浮かべがちですが、ここは露天なので石炭は採石場のような感じで採掘されます。現在は(たくさん掘ったので)巨大なすり鉢状になっていて、下のほうかららせん状に石炭車が上ってくるのが見えます。大きすぎて、曇りの日などは、すり鉢の対岸は見えません。ここの石炭はとても質がよく、日本が中国を侵略していた頃は、毎日ものすごい量が日本へ日本へと運び込まれたのです。もちろん中国人労働者を使って。

この撫順炭鉱で、1932年に“抗日闘争”が展開されたとき、近くにある平頂山集落に“抗日ゲリラ”が逃げ込んだという情報が入りました。日本軍がゲリラの“掃討作戦”と称して集落を包囲し、村民をほぼ全員虐殺するという事件が起こったのです。老若男女、小さな子ども、赤ちゃん、妊婦に至るまですべてです。

ここではこれ以上のことは書きませんが、その虐殺現場がそのまま「平頂山村殉難同胞遺骨記念館」になっているのです。そこへ私たちは行きます。

日本人にとってはとても辛い場所ですが、これは過去の事実として、私たちは正視する必要があると考えます。そしてその上で、私たちに何ができるのか?この歴史の事実をどうやって乗り越えたらいいのか?若者たちの未来に向けて、日中友好はどうあるべきなのか?いろいろ議論してゆきたいと考えています。

ちなみに、私が現在住んでいる村、つまり「テラ・スコラ山の分校」がある賀家湾村というのは、かつて、日本軍によって1度に274人の村民が虐殺された村です。私はこの村に暮らしてすでに3年になりますが、とてもみんなに“愛され”て、この虐殺の村はついに、私の第2の故郷になってしまいました。