9月20日 天理村

ハルビン市内から天理村へ向かいました。天理村というのは、かつて天理教団が教団の信徒を満蒙開拓団員として送り込んだ地です。今もそのままの名称で村が残っているということをDさんから聞き、彼に村に住む老人のインタビューを依頼しました。彼はこちら側が頼んだことを何でも、短期間に実に見事にセッティングしてくれ、旅行社の“添乗員”にしておくのはもったいないくらいの人材だと思うのですが、その後ずっと一緒に旅を続ける中で、彼の“数奇”な過去がわかったり、時には豹変する地の性格も垣間見えたりで、なかなかおもしろい出会いでした。一度はみんなの前で、日本留学など、彼の過去を語ってもらいました。テラ・スコラの旅には、こういったことにすら、さまざまな工夫と仕掛けがあるのです。

天理村では、今年89歳になる周老人から当時の話を聞きました。当時の天理村は、城壁のような壁で取り囲まれていたため、中国人が自由に出入りすることはなかったけれど、特に迫害を受けたというほどではなく、例えば天理村の農場で働けば賃金を支払ってもらったそうです。しかし、当然のことながら中国人にとっては“侵略者”であり、戦争が終わってからは現地の人による襲撃や略奪もあり、開拓民の人たちは悲惨だったとおっしゃっていました。それにしても、なぜ軍隊は自国民を守らなかったのか、開拓民を棄てて、なぜ我先に日本に帰って行ったのか、それがどうしても不思議だと、何度も繰り返していました。

戦争が終わっても、開拓民の人たちはすぐに帰国することができず、その年の冬が越せずにバタバタと亡くなっていったそうです。その遺体を墓に葬ることもできずに、村の外にあった大きな穴にどんどん投げ込まれていった光景を実際に見たそうです。

その穴の跡地は、今もそのまま残っていて、収穫物の殻などが放置されているそうです。今回は時間がなかったので、そこまでは行けませんでしたが、冬季は−30℃という、この極寒の地に、今も眠る開拓民の死者たちの屍を想うと、なんとかして、早く掘り上げて弔ってあげたいと、戦争責任云々という問題とは別に心が痛みました。

*資料館で展示してある虐殺や侵略の写真を中国の小中学生が見てどう思ったのか知りたかった。自分がもし中国人なら決して日本人を心から許せる日は来るのだろうかと思った。村のおじいさんの家に訪問した時も家の人は親切にしてくださって、おじいさんは熱心に話をしてくれた。私もそれに似合った行動や態度をこれから日本に帰ってからもしていかないといけないと思った。

*天理村で日本開拓団の歴史と日本軍の歴史を学んできた。天理神社で日本軍の虐殺、侵略の写真を見た。日本軍が行ってきた残酷な歴史は、今でも中国人の中に残っているのだと実感した。日本で習うような歴史ではなく、包み隠されていない歴史を見ることができてよかった。

*現在、尖閣諸島の問題で大変反日が高まる中、館内へ案内してくれたおじいさん。「わざわざ日本から来てくれたから」と言って身の危険を冒してまで館内へ入れてくれた。もう一つは、区長さん。当時の事をいろいろ教えてくれた。力説している姿は、一生忘れることはないだろう。