9月18日 アンシー

チチハル郊外にある、アンシーという回族が多く住む村を訪ねました。なぜそんなところにというと、私が下見に行った時に、市内にあったモスクを訪れ、そこで知り合いになったヤンさんとジャンさんの紹介です。このふたりは、チチハル鉄道局、つまりかつての満鉄に勤めていた人で、彼らに、当時のことを覚えている老人を探しておいてほしいとたのんでおいたのです。

それで、アンシーへ行って、モウさんというおじいさんに当時の話を聞きました。モウさんは、戦争が終わって、我先にと引き揚げ列車に乗り込む日本人が、あとから貨車に登ろうとしていた人を蹴落としていた光景を、今でもはっきり覚えているそうです。

ところで、回族というのは、イスラム教を信仰する漢族のことです。イスラム教徒というと、どうしてもアラブ系の濃いひげをたくわえた男たちや、ベールを被った女たちを想像しがちですが、彼らはまったくの“中国人”です。モスクも“中華風”で、ミナレットなどはなく、ちょっと見には仏教や道教のお寺のようでした。私たちはモスクの中も見学させてもらったのですが、偶像崇拝を禁止するイスラム教のモスクの内部は、実にさっぱりと何もなく、正面に「アラーは偉大なり」と書いた額が飾られているだけでした。

昼はモウさんたちと一緒に「清真食堂」といって、イスラム教徒の人たちが利用しているレストランで肉だらけの料理を食べました。彼らの主食は、やはり肉です。ヤンさんに「せっかくだから、羊一頭さばきましょうか?」といわれてあわてて断ったのですが、案の定、みんなにはやはり水餃子の方が口に合うようでした。

中国に来て、イスラム教徒の人たちとテーブルを囲み、満鉄の頃の話を聞いて、夜は自由行動。地球が教室のテラ・スコラの旅は、いつも予期せぬ光景の連続で、とてもスリリングです。

*70代男性の話で、満豪開拓時に日中の一般人が仲が良かったと聞いて驚いた。 その食事になった豚や羊を殺す場面が近くにあったがなんとなく行かなかった。 日々の自分の食事に大量の生命が犠牲となっていることは知識としてあったし重々承知しているが、 実際に生命を絶つ場所は見たことがなかったので見ておけばよかったかもしれないと思った。

*今日の朝サイレンが中国中に鳴り響き、初め「なんだ」と思いました。だけどそれは、 昔日本人がしてきたことのサイレンなのに、自分は、「なんだ」と思ったことが急に申し訳なく、 せつなくなった。戦争が終わってから、半年過ぎても、戦争が実は終わってなくて、 教科書にはない真相を知った。イスラム教のご飯を食べに行って、店を出た後、心配してくれて、 外まで来てくれた時、心の底からうれしかった。勝手に僕たちが人の家を訪ねて、 家に入れてくれたのはビックリした。

*95歳のおじいさんに、戦争や、その頃の日本と中国のお話を聞いた。今まで知らなかった歴史を 知ることになり、当時の日本人がしたことの重さを改めて知った。

*問題の根本について考えるという事についてホテルで皆で話し合ったりした時に、皆の話を聞いていて面白いし、こうやって面白い話も真面目な話も出来る友達と一緒に来られて良かった。ここ3日間は中国や人についてというか、自分の心境の変化や、身近な日本人についてとても興味があったりで楽しい。