国境を越える旅第2弾 その3

今回の参加者の中に3名ほど、福祉方面への進路を考えている生徒がいます。それで今日は、午前中に日本人が経営する孤児院を訪問し、午後には「バナナペーパー」というNPOを立ち上げた、タクヤさんという20代の青年のフィールドを訪問しました。

彼は、汚染物質にまみれながら“ゴミ山”で廃品を回収して生活している村人たちの姿を見て、何か他のかたちで生活の糧を得られないかと模索しました。まわりにいくらでも生えているバナナに着目し、実を収穫したあとの茎から繊維を取って紙にして売ることを思いついたのです。



バナナは草本なので、1度実をつけるとあとは使い道がありません。新しい芽は地下茎から自然に出てきます。この枯れるだけのバナナの太い幹を薄く削って、大鍋でぐらぐら煮て、紙すきをするわけです。みんなも村人に教えられながら挑戦してみました。



タクヤさんのところでは日本語学校も開いていて、普段はお休みの時間帯に、連絡を受けた生徒たちが、それぞれ自転車でかけつけてくれました。日本語を取得することによって、村人に新しい雇用の道を探ろうという試みです。

タクヤさんの、「ここで村人と一緒に暮らしていて、自分が楽しいから続けられる活動なんです」という言葉は、福祉を目指す生徒たちの心にスンナリと受け入れられたようでした。

国境を越える旅第2弾 その2


トンレサップ湖へはバスで1時間ほど。今は雨期が終わり、湖の水も水位を下げ始めた季節ですが、最も水量の多い9月では、湖の面積は琵琶湖の9倍ほどにもなるという、東南アジア最大の湖です。

今回は、私の友人で、日本滞在歴20年というベテランガイドのブンティが同行しているので、フツウの旅とはまったく違うプレミアムツアーが用意されました。まずは、市場で食料品を買い込み、畔にあるコンポンプルックという漁師村のどこかの家庭に上がり込んで、そこでみんなで料理をし(ま、ちょこっと手伝って)、村人たちと一緒にお昼を食べようというのです。


ここは観光地になっているので、船を持っている各家庭がチャーターボートを出しているのですが、偶然乗ったボートの運転手に、「あなたの家で料理していい?」とブンティが聞くと、とにかく聞いてみるよということで、まずは彼の家に向かいました。で、一家の女主人にお伺いをたてると、いいよということで、さっそくみんな上がり込みました。高床式の家で、ボートから直接そのお宅に“上陸”するわけです。



まずは3隻の小舟に乗って水上散歩。こんなかわいい船頭さんがたくみに櫓をこぎます。彼らの仕事っぷりに感嘆のため息が出ます。生まれたときからの水上生活ですから、かれらにとっては、“歩く”のと同じなのでしょう。


途中の市で買い込んだ鶏肉や野菜を煮込んだものとスープを作りました。湖面の上に建っている家で、床は竹でできていてすのこ状になっていて、すぐ横をボートが通ります。


出来上がったクメールランチを茣蓙の上に座っていただきました。これがもうほんと〜においしかったのです。みんな次々におかわりして、洗面器に山盛りになっていたごはんもすっかりカラになりました。カンボジアのコメは長粒種で、日本のコメとは違いますが、ほんのり香りが漂って、ほんとうにおいしいのです。鶏肉とトマト、玉ネゴ、カリフラワーの炒め物も、たっぷりの香辛料にココナッツミルクの甘みが乗って、これもとても美味でした。


そのあとは例によってデジカメで盛り上がりました。男たちは漁に出ているので、女と子どもたちだけでしたが、異国の漁師村で得難い体験ができた楽しい一日でした。

とにかくみんな無事に最初の日程を消化したことをお知らせしました。それではお休みなさい。

国境を越える旅第2弾 カンボジア〜ベトナムへ その1

いよいよ今日が、国境を越える旅第2弾 カンボジアベトナムへの旅の初日です。正確にいうと、昨日はセントレア東横インに宿泊しました。なんでも、1日勘違いしていた生徒がいたようで、昨日の朝合流できなかったようですが、なんとか無事に全員出発しました。

これを書いているのは、現地(インドシナ)時間午後3時ですが、少し前に途中乗り換えのハノイからメールが入りました。そして今さっき、電話が繋がって、これからシェムリアップに向けて搭乗するようです。

ほんとうに便利な世の中になりました。しかもタダ(Skype)。私事ですが、私が初めて海外(アメリカ)に出た半世紀近く(!!)も前、「あぁ、もしかしたら、2度と日本の地を踏むことはないのかもしれない…」と、悲壮な決意で羽田空港に小さなスーツケースひとつで佇んだ昔日の思いがよみがえります。親の心配はいかほどのものだったでしょう?デキの悪い娘だったのであきらめていたのでしょうか?

てことはないですね。これから12日間の旅ですが、この場を使って参加する生徒のみなさんのご家族、そしてスタッフのみなさんのご心配などなど少しでも軽減できるよう、日々の様子をお伝えしてゆきたいと思います。ただし、それどころじゃないほど忙しいと思うので、とぎれとぎれになるかも知れませんのでご承知おきを。

5時到着予定なので、そろそろ空港に向けて出発します。
それではのちほどまた。

思っていた通り、“それどころじゃない”状態ですので、今日はここまで。とにかく全員無事にアンコールの地を踏んだことだけお知らせします。明日はトンレサップ湖へ行き、コンポンプルック村という漁師の村を訪問します。

次なる国境をめざして その4



その後また2時間ほど行くと、いよいよチヤウドックというベトナムの町に上陸します。この町がまたとてもおもしろい町で、ものすごく寺が多いのです。



私が上陸したのはちょうど旧暦の大晦日で、街中が春節を迎える準備でごったがえしていました。街を歩くと、子どもたちが中心になって、ドラゴン踊りや太鼓のパフォーマンスの準備で、みな浮足立っています。そうですね、ちょうど諏訪の御柱祭の準備で街中が興奮のるつぼで、もう押さえきれないといった感じです。私もこの日は0時過ぎまで街中をウロウロしていました。

ところで、私がプノンペンに行った目的のひとつは、10年ほど前にカンボジア人と結婚して、プノンペンで暮らしている女友達に会うためでした。遠い異国で言葉も習慣にもなかなかなじめず、寂しい思いをしているのではないか?と勝手に気になっていたからです。ところが、そのカンボジア人の連れ合いというのは、8歳の時から20年ほどを日本で暮らしたというバイリンガルで、もう底抜けに明るく、かつカンボジアに対する熱い思いが留まるところを知らない熱血漢で、ああ、こんな人と一緒なら、彼女が「カンボジアに骨を埋めるつもりだ」というのも納得できました。

で、彼ほど自由に2か国語を扱える人も滅多にいないので、日本からのメディア関係者はほとんどすべて彼の元を訪れるのだとか。つまり、私たちがもしも、ベトナムカンボジアの国境越えツアーを企画するなら、彼ほど強力な協力者は、全カンボジアを見てもなかなかいないわけです。

ということで、問題はお金と、日数だけですね。もう少し検討しましょう。でも一番の問題は、行って見たいという、みなさんのモチベーションです。それさえあれば、次なる国境は簡単に越えられます。みなさんの熱意に期待しつつ、私はそろそろ“山の分校”に戻ります。

(この項おわり)

次なる国境をめざして その3


船に戻ってまた5分くらい乗ると、今度はベトナムの税関です。ここもフローティングオフィスでしたが、後方の建物は、川岸に建っています。カンボジアベトナムの国力をまざまざと見せつけられるようで、ちょっと複雑な気持ちに。

ここで今度はベトナムの入国スタンプを押してもらうわけですが、つまり私たちはすでに、カンボジアベトナムの国境を越えたことになります。ここでは、メコン川の支流に国境線が通っていたわけです。

ちなみに、この税関の建物の格差を見て考えることが多かったのですが、帰って来て、アジアのひとりあたり名目GDPというのをネットで探ってみました。1位はマカオ、2位はシンガポール、3位香港、4位日本です。ベトナムは18位、そしてカンボジアは最後から2番目で24位です。(最下位はネパール)
カンボジアGDPがなぜこんなに少ないかというと、それは1970年から20年ほども続いた内戦の影響なのです。カンボジアなど、いったいどこにあるのかすらよくわからない国のことなんか、日本とは関係ないと考えるかもしれませんが、現代世界の中で、“無関係”の国や地域など存在しないでしょう、ましてやアジアで。私自身そのことがとてもよくわかった今回の旅でした。

さて、ベトナム税関では、ベトナムの船に乗り換えるために30分ほど待たされました。ここには、ちょっとしたスナックなどの売り場もあり、イスやテーブルがあってコーヒーを頼むこともできました。私は久しぶりに、甘いベトナムコーヒーを飲んで、ホッと一息です。ベトナムコーヒーというのは、ミルクではなく、練乳を入れるので、甘くてとても濃厚な味がするのです。


ベトナム側に入ると、川で魚を採っている人の風貌もガラリと変わります。カンボジアはそのほとんどが、クメール人で、浅黒くて、比較的彫りの深い顔立ちですが、ベトナムはキン族といって、ずっと日本人に近い顔つきになります。そして、被り物も変わるのです。カンボジアは、クロマーという大判のスカーフをターバンにして頭に巻いたり、首に巻いたりしていますが、ベトナム人は、お馴染みのノンラーという、バナナの皮で作った三角帽子や麦わら帽子を被っています。


メコン川には、波というものがないので、船は一点だに揺れることはなく、こんな感じでのんびり風景を楽しむこともできます。


ベトナム領に入ると、川を渡るフェリーがものすごく多くなります。橋を渡るのと同じ感覚なのでしょう。こんな渡し船が縦横に行き来していて、行ったり来たりと大忙しです。ここでも人々の足は、老若男女を問わずバイクです。

次なる国境をめざして その2



“上陸”すると、まずこんなモノに出会いました。ちょうど旧暦の大晦日にあたる日だったので、新年を迎えるためのお供えがたくさん並んでいました。カンボジアは仏教国です。ワンちゃんものんびり昼寝。ここで飼われているんでしょうか?


(失礼ながら)このバラックのような建物が、カンボジアの税関です。職員は2人だけで、窓口からパスポートを差し出すと、その場でポンッと出国印を押してくれます。まぁだいたいどの国も、出国のときは簡単です。逆コースでカンボジアに入国するときは、ここでビザを取得しなければなりませんが、日本人の場合は問題ありません。私はマレーシアから空路入国しましたが、空港のカウンターで20分ほど待って受け取れました。30ドルです。


感激したのはこれ。税関の屋根の上に何かぶら下がっているので、何だろうとよく見てみたら、なんとっ!マンゴーの実だったのです。まるで七夕飾りのようにぷらぷらと。あぁ!、税関の屋根の上にマンゴーが実っているなんて、なんて素晴らしい国なんでしょう!熟すのは4月過ぎだそうで、今はまだ青くて小さいですが、ぜひぜひ、“マンゴーの熟す頃”にまた来たいです!でも、暑いだろうなぁ。。。

出国手続きを終えて、待っていた船に乗り、次はベトナムの税関を目指します。

次なる国境をめざして その1

来年は、つまり今年は、ベトナムカンボジアの国境を越えて、アンコール・ワットまで行きたい、と書いたのは、つい1か月半ほど前のことですが、実はすでに下見をしてきたのです。思いついてから行動するまでのフットワークの軽さは誰にもひけをとらない私ですから。

実は個人的な用事があって、クアラルンプールに1週間ほど行っていました。そして、いま話題沸騰の例の、クアラルンプール国際空港プノンペンに向けて飛び立ったのは1月21日のことでした。


そしてプノンペンに1週間滞在した後、予定とは逆コースになりますが、カンボジア国からベトナム国に向けて、メコンの支流をボートで下ったのです。



バスで行くこともできて、この方がずっと安い(10ドル)のですが、ちょうど春節(旧暦の正月)の時期で行き来する人の数が多く、チケットが取れませんでした。それに引きかえ、ボートで国境を越えるコースは、料金が29ドルと、3倍もするせいでしょうか、50人ほども乗れる高速艇のお客さんは、ほんの10人ほどでした。現地の人はいなくて、みな欧米からやってきた観光客です。カナダ、フランス、ドイツ、チェコギリシャの人たちがいました。ボートは新幹線の車両のように細長くて、海では横波を受けて転覆間違いなし。川だからこそ使える船体をしていて、とても速かったです。


典型的なクメール人の風貌の乗務員。英語がとても上手でした。


両岸のカンボジアの風景と、人々の暮らしぶりも垣間見ながら、いよいよ国境越えです。


8時に出発して、2時間ほどメコンをくだったところで、カンボジアの税関に到着します。ここでいったん船を下りて、出国手続きを行います。税関はフローティングオフィス、つまり、川の上に大きな筏を組んで、その上にありました。船を下りて税関に入るところです。