歩いて国境を越える旅 その10

11月29日、大阪港を鑑真号で出港して以来、今日12月10日で12日目。長かった旅も終わりを告げ、17:55発の香港エクスプレスで羽田に向かいます。


今ではなかなか経験することのない、50時間にもおよぶ長い船旅で煌びやかな上海に上陸。飛行機で広西省チワン族自治区という、日本にいてはどこにあるかも定かでない“辺境”の地に飛び、車をチャーターして国境にかかる滝、徳天瀑布に到着しました。


そこでは国境を“自由に”跨いで行き来する人たちの生活ぶりにふれ、翌日には、自ら日本国政府発行の旅券を携えて、中国とベトナムの国境を、歩いて越えました。

ハノイでは、活気に満ちた街、若い労働力、豊富な商品、AEONマーケット、日本企業の大看板、HONDAオートバイの大洪水と、軽々と国境を越える商品の群れたちも自分たちの目で確認してきました。


ホイアンではショッピングも楽しみ、おいしいモノもたくさん食べました。一番最後に、ダナン空港で預けた荷物が行方不明になり、翌日に戻ってくるというハプニングがありましたが、いったいあの2つのスーツケースはどこを旅していたのでしょう?


国境っていったい何だろう?けっきょく最後に残った疑問はこの一点につきるようです。参加者たちは現在、“国境”を大テーマに、小論文を執筆中です。報告集にまとめられる予定ですが、またこの場でもご紹介できればと考えています。


みなさん、お疲れさまでした。私個人的には、来年は、ベトナムカンボジアの国境を越え、アンコールワットまで足を伸ばしてみたいと考えています。あくまで、個人的なプランですが。。。
(この項おわり)

歩いて国境を越える旅 その9




12月9日、ホイアンは、16世紀末から繁栄した国際貿易港で、江戸時代には朱印船貿易の拠点となりました。かつては“日本人街”があったようで、街のはずれに日本人の墓も残っています。ところがその後の江戸幕府鎖国政策で日本人は撤退してしまい、その後に中国人がたくさん入って来たようです。だから現在残っている店舗・家屋は、ほとんどが中国風の建物で、広東や広州などの中国南部の古い都市に雰囲気が似ています。



街を流れるトゥボン川、南シナ海に通じます。18世紀以降、土砂が堆積して使えなくなり、貿易港は海に面したダナンに移行しました。そのおかげで古い街並みが残されたといっていいでしょう。


ホイアンユネスコ世界文化遺産に登録されていることもあり、治安もよく、街もとても狭い区域なので、ホイアンの2日間はほぼ自由行動としました。明日には帰国するわけですから、大切な人にお土産を買うことも重要なお仕事です。ただし、レポート2000字という課題が出ているので、のんびり観光気分を味わっているわけにも行きません。夜遅くまで、あるいは朝早くから、みんなレポート用紙とにらめっこをしていたようです。




民俗資料館の展示。街全体に展示施設が散在していて、街の入り口で買ったクーポンを切り取って中に入ります。古い民家や小さな博物館、華僑会館などなど。一度大火にあって街がほぼ全滅したようで、残念ながら日本人街の遺構というのは残っていません。しかし、ベトナム戦争の時代、ホイアンは米軍基地のあったダナンから、ほんの30キロほどだというのに、破壊されずに残ったのは幸運でした。



ホイアンはランタンで有名。夜になると、町中がこんなに煌びやかに装われ、観光客で遅くまで賑わいます。1年のうちで比較的気温が低く、雨が降らない今がベストシーズンです。

歩いて国境を越える旅 その8

12月8日、ベトナムは南北に長い国ですが、北部にハノイ、南部にホーチミンがあり、ちょうどそれらの真ん中あたりにベトナム第三の都市ダナンがあります。今日はハノイノイバイ空港からダナンに移動しました。





これらの写真は、ノイバイ空港の国際線ターミナルで撮りましたが、街中でも、日本企業の看板はほんとうに多いのです。次いで韓国。EUアメリカ、中国の看板はほんのわずかです。走っているバイクの90%がHONDA(合弁企業がベトナムで生産)、ホテルにある冷蔵庫のほとんどは日本製、クーラーやエレベーターも日本企業のものがほとんど。昨日は郊外にできたイオンの見学に行ってきましたが、“商品”というものは、実に軽々と国境を越えるものだと、改めて考えさせられました。

私たちはダナン空港からTAXIで、世界遺産に指定されている、ホイアンという町に向かいました。ここはかつて、“南蛮貿易”の拠点として繁栄した港町です。

歩いて国境を越える旅 その7


12月7日、ホーチミン廟は、午前中しか拝観できず、しかも長い行列に並ばなければならないので、閉館後にその前を通っただけで、近くにある、ホーチミンが実際に暮らしていた家を見学しました。



とても簡素な造りでしたが、熱帯樹の小さな森に囲まれて、池の水面を涼やかな風が通りすぎ、いかにも“建国の父”ホーチミンの人柄を偲ばせるような気持ちのいい空間でした。


夕方から、人形劇を見に行きました。この写真がハノイ名物、タンロン水上人形劇場のホールに入ったところです。ここは、ホーチミンが子どもたちのためにと建てたものだそうです。




暗いのでボケボケの写真ですが、水をはったプールの上で上演されます。1000年以上前から続いた農民たちの収穫のお祭りに上演された伝統芸能です。プールの上面のでっぱりに演奏者がいて、ベトナムの民俗楽器が演奏されます。


1時間弱の公演ですが、最後に人形を操っていた人たちが出てきて、みんなで拍手をして終了。とっても素朴でほほえましい人形劇で、私は帰りに小さな人形を記念に買ってしまいました。でも、人形遣いと人形との位置関係がどうなっているのか、いまいちわからない、不思議な劇でした。

歩いて国境を越える旅 その6

12月6日、朝起きて、ホテルのおいしい朝食を食べ(フルーツもたくさん。マンゴーもパインもパッションフルーツもご自由に)、みんなは「ホアロー収容所」に向かいました。ここは、フランス統治時代に、反体制派を収容した監獄です。後のベトナム戦争の時代には、捕虜になった米軍パイロットが収容されていました。“ハノイヒルトン”と呼ばれていたそうです。


実は私は翌日の人形劇のチケットをとるために劇場に行っていて、みんなと合流したのはこの大教会の前です。


ハノイは町中至る所カフェだらけ。カフェといっても、しゃれたヨーロピアンスタイルから、プラスチックの椅子を並べただけのもの(こちらが主流)まで様々で、なんだか、ベトナミィーズは朝から晩までコーヒー飲んでるようです。




その後に、世界遺産に指定されている「文廟」へ行きました。孔子廟のことです。1070年に建立され、1076年(日本はまだ平安時代!)には、ベトナム最初の大学が設立された場所です。中国文化が、いかに昔から強い影響を与えていたかがよくわかるところです。受験シーズンには、観光客ばかりでなく、受験生でにぎわうそうです。


これが一番最初にある文廟門ですが、びっくりしました。日本から来た高校生が、おそらくは2、300人くらい。しかも全員、この暑い国で詰め襟の学生服を着て汗だくで、いくら制服とはいえちょっとかわいそう。。。




マーケットはどこも賑やかで活気にあふれています。知らない土地、初めての国に行った場合、そこのマーケットをのぞいてみるのが一番。花屋も多く、自転車の荷台で売っている人などもよく見かけました。黄色い菊の花が多いのは、きっと仏様にお供えをするのでしょう。ベトナムは仏教国です。

歩いて国境を越える旅 その5


12月5日、昨夜は徳天瀑布から7時間ほどかけて移動し、崇左という町に泊まりました。ここは、北京からハノイに向かう国際列車が通る町です。私たちはここから各駅停車に乗って、憑祥という駅に向かい、そこからタクシーで友誼関に向かいました。友誼関は、漢代に建造された関所で、2000年以上たった現在も、中越国境の税関として使用されているのです。


友誼関に到着しました。この写真の左手に中国のイミグレーションがあり、まずはそこで出国手続きをします。(写真撮影禁止)


そこを出てから3、4分歩いて、ベトナムのイミグレーションで入国手続きをするのですが、その途中にあったこの石が、国境碑。誰も気がつきませんでしたが、タクシーで一緒になった女性が、ベトナム人の中国語の先生で、彼女が教えてくれました。やっぱり国境線て、あったのです。みんな自分の足で、歩いて国境線を踏んで、中国からベトナムへ入国しました。


ベトナムのイミグレーションに到着。実をいうと、この国境を歩いて越える人というのはほんとうに少ないのです。中国は広いですから、上海以南の一部の人たちを除けば、ほとんどが飛行機、そしてマニアは北京から国際列車(これが一番高い!)といったところでしょうか。もちろんここ以外にも何カ所かイミグレーションはあります。


イミグレーションを出ると、何台ものハノイ行きバスが待ちかまえています。中国語の先生がうまく交渉してくれて、ハノイのホテルまで送ってもらえることになりました。そして、ベトナムの領土に入って最初がこれ。バスがエンストして、みんなでヨイショと押したのです。それでも無事に4時間ほどでハノイに到着しました。


ホテルにチェックインして、まずはベトナム名物のフォー。スープうどんですが、麺が小麦粉ではなく米でできています。この先も何度かいただきました。どんな小さな屋台で食べても、まず間違いなくおいしいです。そして今日の最後は、ベトナムカフェでまったり。歩いて国境を越えた感想などなどこもごも語り合いました。

歩いて国境を越える旅 その4


12月4日、これが“国境にかかる滝”、徳天瀑布。高さ50m、幅100mほどありますが、夏期にはもっと水量があるそうです。滝の右側(手前側)は中国領、左側はベトナム領です。


最近の中国は、どこも観光産業が隆盛ですが、ここも一大観光地と化していました。次から次へと団体客がやって来ます。滝の下まで筏に乗って行くことができるので、私たちもさっそく乗りました。学割ナシのひとり500円、高い!


これは対岸のベトナム領。中国側とは比べものになりませんが、やはり観光客がちらほら。この経済格差は一目瞭然です。中国側から筏が出ると、ベトナム側から小さな手こぎの筏(左側にある屋根のない筏)で、土産物を売りに来る人たちが近づいてきます。



滝のまわりは遊歩道が整備されていて、いろいろな角度から見物することができます。15分ほど上流に向かって歩くと、ちょっと平坦な場所に出、これが国境碑、同じ碑の表と裏側です。


そして、このベトナム側にテント張りの土産物屋がずらりと並んでいます。つまり、観光客(中国人)は、国境線を行ったり来たりしながら買い物をし、ベトナム人も同じく国境を自由に跨いで荷下ろしなどをしているのです。


店を出しているベトナム人は、この道を通って自分の家に帰ります。道路の左端のコンクリートの部分までが中国領、左側の草むらはベトナム領です。


滝から少し離れたところで、対岸のベトナムから、筏に乗って中国にやってくる人たち。パスポートは?ビザは?

生徒たちにとって、これまで漠然と抱いていた“国境のイメージ”は、おそらくは音立てて崩壊したのではないでしょうか?そして明日には、いよいよ自分の足で、歩いて国境を越えることになります。