甘粛の旅 その9




郎木寺もやはり“観光による町起こし”に取り組んでいるので、町というか村に入ると至る所ホテルというか、宿と、レストランというか、食堂と、土産物屋で埋まっていました。しかしちょうど閑散期だったようで、私たち以外に観光客の姿も見えず、30元の拝観料を払って寺域に入ったのですが、お寺の本堂には入ることができませんでした。寺はそのまま修行の場ですから、それでいいのだと納得し、けっきょく広い境内をぶらぶらしました。



チベット仏教の寺では、早い人は3、4歳で自分の家を出て、その後はずっと寺の中で修行の暮らしを続けるわけです。学校や病院なども寺の中にあります。途中で行きかうラマたちの表情は読めませんでしたが、この“観光政策”をどのように考え、私たち観光客をどんな思いで迎えているのかなぁと思いました。

途中で中国語を話せる(つまり、チベット語しか話せない人はたくさんいます)村人に出合って、彼と話していたら、「天葬台」を見てから帰りなさいといって、行き方を教えてくれました。実はほんとうのことをいうと、私がここに来た目的は、その天葬台を見ることにあったのです。