新屯のおばあちゃん


翌日は、撫順戦犯管理所を見学して後、近くで車を3台チャーターして、去年訪れた龍鳳炭坑竪坑櫓へ行きました。満鉄の技術で造ったものです。私個人的には、この竪櫓が大好きで、今年も会えたことは幸いでした。この櫓は、地下にまっすぐ638メートル掘られており、石炭の積み出しと、作業員の出入りに使われていましす。

なんでも、中国政府はこれを観光資源として開発したいそうで、もしかしたら、来年はぴかぴかにペンキが塗られているかも?

龍鳳から市内に戻る途中に、「新屯」という、かつての日本人居住区があります。その頃の建物はほとんど取り壊されて、新しい高層住宅に代わりつつありますが、それでもまだまだ当時の雰囲気が残っているところです。


みんなで車を降りてぶらぶらするうちに、いかにも以前日本によくあったような感じの古ぼけた2棟繋がりの住居があったので何気なくのぞいてみました。そこにはおばあちゃんがひとりいて、私の顔を見ると外に出てきてくれたのです。生徒たちは2階部分に上がって、その部屋のおじさんに招かれて、部屋の中を見学しているようでした。


おばあちゃんは突然現れた大勢の来客に驚いた様子もなく、ニコニコしながら生徒たちを受け入れてくれたのです。そして話しているうちにわかったことは、おばあちゃんの孫娘の連れ合いが、いわゆる“残留孤児”で、いまは家族で大阪に住んでいるということでした。ほんとうにまったくの偶然で出会った人なのに、こんな繋がりがあるなんて。。。


私たちが帰るときには外まで出てきて、「さようなら」「またいらっしゃい」と、たどたどしい日本語で、いつまでも手を振ってくれました。しかし、この住宅地は来年にはあるかどうかわからないそうです。まして、おばあちゃんは90歳。再び会えることがあるのかどうか、生徒たちも感無量で涙を浮かべる子もいました。一期一会の別れが、旅の途中にこんなふうに用意されていたとは、私も思いもよらず、胸にしみいるひとときでした。