これぞ“異文化”だっ!

私が取材したことがある郭老人の葬儀が、生徒たちが帰るその日にありました。享年82歳。平均寿命の短いこの地域では“大往生”といえる年齢です。

この郭さんの家は、村一番の金持ちで、葬儀もそれに比例してとても“立派”なものでした。そもそもこちらの葬儀は、日本人では想像もできないほどド派手で、明るく、ほとんど“祭り”と変わりません。生徒たちが帰る前夜が、ちょうど“前夜祭”と重なり、彼女たちもこの地の風習にびっくり仰天、異文化を堪能したことでしょう。

日が暮れると祭壇には明々と電飾が灯り、楽隊が呼ばれて深夜遅くまで音楽会が開かれます。楽隊というのは、普通は5、6人編成のものが1隊呼ばれるだけですが、元来見栄っ張りの中国人のすることですから、なんと5隊、総勢80人が呼ばれたそうで、私がこの5年間で見た、この村では一番派手な葬儀でした。

参加した3人のうち2人が音楽部に属していたこともあって、夜中の11時過ぎまで、交流の花が咲いたそうです。というのも、今回私は極力生徒たちと行動を共にすることを避けていたのです。狭い村の中で、すべての人が顔見知りで安心でしたし、私がいればどうしたって生徒も村人も私を頼ってしまいます。まったく言葉の通じない共同体の中で、彼女たちがどのような手段でコミュニケーションをとってゆくのか?これもまた今回のスクーリングの重要な課題だったからです。

翌朝聞いたところによると、日本人だとわかると、楽隊のメンバーに取り囲まれてしまい、もうモテモテでたいへんだったそうです。中に英語が少しできる中学生がいたそうで、彼女を間にして、英語と筆談で交流し、なんら問題はなかったとか。どうやら、「ヨメに来ないか?」とまで誘われた子もいたようですよ。

とまれ、私が一緒にいなかった状況の中にも、さまざま重要な“学び”があったようで、それらに関しては、いずれ生徒自身の口から語ってもらおうと思っています。

この写真は、みんなが帰った日の午後に行われた「出祭」という行列。楽隊がドンチャカブンチャカかき鳴らし、「うちはこんなに立派な葬儀ができるのだ」と、村人に裕福さを“見せびらかす”儀式です。人民解放軍顔負けのトラックが、空砲を鳴らしながら先導します。

(7月18日)