人物と風景

私の無線ネットのデバイスが壊れて、部屋ではネットが繋がらない状況が続いています。今は、歩いて30分くらいのところにある、招賢という町の「ネット屋」で、ランを借りて繋いでいます。ということで、ずいぶん間が空いてしまいました。

さて話を戻して、賀家湾の村人たちと、テラ・スコラの生徒たちとの間で、同じ写真を見てもらって「好きな3枚」を選んでもらったのですが、結果がこんな違ってしまいました。見事に対比しているのは、「人物」と「風景」ということです。

もう少し突き詰めてみましょう。村人たちが選んだ10枚のうち、10位の海の写真を除いて、共通しているキーワードは何でしょうか?答えは簡単ですね、「家族」です。人物写真は他にもたくさんあったのですが、選ばれたのは、「子ども」「結婚」「団欒」の3点でした。10位以下の写真にも、明らかにこの傾向が見て取れました。私たち日本人が“写真として優れている”と思うこととは、ほとんど関係がないのです。

私はこの界隈ですでに5年暮らしているので、この結果にはやっぱり、と大いに納得するところがありました。最近でこそ、発展中国のおこぼれにあずかってはいるものの、この地の生活は過酷です。今もなお“国家級貧困地区”に指定されていて、ひとりあたり平均年収は3万円を割ります(ただし、出稼ぎで得た賃金は含まれない)。夏は40℃、冬は−20℃。生涯村を離れることもなく、自給自足の農業で先祖代々山の段々畑を守ってきました。

そんな暮らしの中で、子どもは愛しい宝であり、農を支える労働力であり、あらゆる富の源泉でもあるのです。結婚はそのための儀式と準備であり、家族こそが、彼らにとっては何よりも大切な価値そのものとなるのです。出稼ぎに出た男たちも、春節ともなれば、あらゆる手段を講じて何がしかの金を持って、家族のもとに帰り、危険な炭鉱で採炭工となるのも、すべて家族に“いい暮らし”をさせるためなのです。炭鉱で働く男たちに、何度も聞いたことがあるのですが、「家族を食べさせるため」「子どもを大学にやりたいから」という答えは返ってきても、「車が買いたいので」「海外旅行がしたいから」という答を聞いたことは一度もありません。

翻って、テラ・スコラの生徒たちが選んだ5枚は何を意味するのでしょうか?なぜ、ただのひとりも人間が写っていないのでしょうか?私にも答えはよくわかりませんが、これはみなさん方で一度考えてみてほしいと思います。

とまれ村人たちは、好きな写真とは別にして、日本の風景や風物や行事の写真をじっくりと見てくれました。これまで、ましてや私が村に行くまでは、日本といえば、多くの村人たちを虐殺した“鬼のような”人間たちが住む国というイメージしか持ち得なかったはずです。こうして日本の美しい風景、かわいらしい子どもたち、珍しい風物などを見てもらうことができて、この写真展は大成功だったと思っています。協力してくださったすべてのみなさん、ありがとうございました。